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恋人の目には (9) 

グレッグは、怒りがじわじわと湧いてくるのを感じた。

もちろん今の流れが分かりそうにないのは分かる。そうだよ、その通りだ。自分も人から見たら、弱くて女っぽいナヨナヨ男だろう。ここにいるクウェンティンも同じだ。そのクウェンティンが、僕をその役割に従わせようとしてる。イライラしてくる! どうして、僕を放ってくれないんだ? どうして、クウェンティンは服を買いに出かけなくちゃいけないんだ?

グレッグは、後で後悔しそうになることを危うく言いそうになったが、何とか飲み込んだ。クウェンティンが悪いんじゃない。何も彼は悪くない。クウェンティンは、この悪い状況の中からも最善を得ようと頑張っているだけなんだ。

グレッグは深呼吸をし、買い物袋を掴み、「ありがとう」と呟いた。そして、困惑してるクウェンティンを後に、廊下をずかずかと進み、立ち去った。寝室に入ったが、感情的にドアをバタンと閉めないよう、注意した。そして袋をベッドに放り投げた。

自分は何になってしまったのだろう? 男でないのは確かだ。男というものは、恋人に夜毎、指でいじられ悶えるものではない。男というものは、女のような体形をしているものではない。男というものは、本物の男というものは、逞しいペニスで恋人の身体を貫き、激しく揺さぶり、恋人を喜び泣かせるものなのだ。だが、僕にはそれができない。そうグレッグは思った。自分は男ではないのだ。少なくとも、本物の男ではないのだ。

でも、そうすると、自分は何になったのだろうか? 自分は女ではない。男でもない。あの最近出現したボイにもなりたくない。

グレッグはベッドに倒れ込み、両手で目を覆い、自分の人生について考えた。クウェンティンはグレッグの気分を察して、邪魔はしなかった。それがグレッグにはありがたかった。

何分かそうした後、グレッグは身体を起こし、買い物袋の中をひっくり出した。クウェンティンは、その言葉通り、ひどく女性的なものは何も買っていなかった。ただのジーンズとかTシャツ、それにボイ・ショーツと呼ばれる下着類(それはデザインは男性用のYフロント(参考)のように見えるが、ボイの体形に合わせたものであるのは一目瞭然だった)。

「クウェンティンは僕のことを思いやりすぎるんだから」 

とグレッグは独りごとを言った。恋人の思いやりに、グレッグは、急速に卑しくなっている心が救われる思いだった。

立ち上がり、素早く裸になった。大きすぎる服は、脱ぐというより、締めつけを緩めると重力に引っぱられて落ちると言った方が良かった。そして、ボイ・ショーツに脚を入れた。柔らかく、無毛でつるつるの脚の肌にショーツを通し、確かに、履き心地が良くて、ピッタリだと認めざるを得なかった。

そして、次にジーンズを履いた。普段着ているものよりキツイ感じがした。特にお尻のあたりが。だが、それはサイズが合わないのではなくて、そういうデザインになっているんだろうなと思った。最後に黒い無地のTシャツを着た。

鏡を見て、自分の姿に驚いた。思った以上に女性的に見える。基本的にユニセックスの服を着ているにもかかわらずに、だ。グレッグは深呼吸をし、寝室を出た。

小部屋に入り、グレッグは目に入った光景に驚いた。クウェンティンがいて、腰を折って、前屈みになり、下着を履いているところだった。レースの黒いソング・パンティ。

クウェンティンは振り向き声をかけた。「苦悩から抜け出た?」

グレッグは肩をすくめた。「それって……新しいファッションってわけか?」

クウェンティンはパンティを引き上げ、前を隠し、グレッグの方を向いた。

「僕はこれに馴染もうとしているんだ。この状態を変えることができないならば、ボイっぽく生きて行くことに慣れた方がいいんじゃないかって。それに……」 と言いかけ、少し頬を赤らめた。「それに、これを履くとセクシーになった気分になるんだ。君は、これ、嫌い?」

別にグレッグは、その下着が嫌いだというわけではなかった。それよりむしろ、自分の恋人の変化が気に入らなかった。とは言え、グレッグはクウェンティンの気持ちを害する気持ちはいささかもなかった。

「それ、素敵だよ」

グレッグは嘘をついた。だが、その嘘のおかげで、彼はクウェンティンの輝くような笑みを見ることができた。ああ、いつものクウェンティンだ。僕が恋した男の、あの笑みだ、とグレッグは思った。

だが、その後グレッグはクウェンティンの笑顔以外のところに目をやり、大好きなあの笑顔を見た当初の喜びが、色あせていくのを感じた。彼は、その失望の表情を素早く隠したが、クウェンティンの姿とそれが意味することが、山火事のように彼の心の中を駆け巡った。

クウェンティンはもはや男ではなくなったのだ。心の中も男ではなくなったのだ。ボイであることを受け入れ、それに馴染みたいとの思いから、彼は、男性性にしがみつくための最後の一本糸も手放してしまったのだ。クウェンティンが、世の中の現実を受け入れ、その現実を最大限に有効活用しようとすることを、称賛する人もいるかもしれない。他の人なら、それも良いだろうとグレッグは思う。だが、クウェンティンを見ながら、グレッグは自分のことだけを考えていた。自分が愛した男は、もういなくなってしまったのだ。その代わりに出現したボイを、自分は愛せるようになるのだろうか?

*

クウェンティンはどうしてよいか分からなかった。新しい衣類を買ってから3ヶ月が経っていた(その後も衣類はたくさん買い込んだ)。そして、その3ヶ月に渡って、グレッグはみるみるクウェンティンから遠ざかるようになっていったのだった。今や、ふたりは滅多に話しあうことはなくなっていたし、グレッグは彼に一度も触れていない。おやすみのキスすらしなくなってしまった。

グレッグは頻繁に仕事を休むようになり、最後には、職を失った。クウェンティンはそのわけを知っていた。誰が見ても明らかだった。グレッグは気持ちがすっかり完全に打ち砕かれてしまったのだった。グレッグは男ではない。だが、ボイになりたいとも思っていなかった。彼の恋人は、もはや、好みのタイプではなくなっていたし、彼自身を形成していた男性性も失ってしまった。

クウェンティンが、たとえ困った状況であれ、それをできるだけ利用しようと決意し、すぐにボイであることを楽しむように変わったのに対して、グレッグはボイであることを真っ向から拒み、自己憐憫と喪失感に嘆き悲しむことを選んだのだった。

今の状況は理想的か? いや、ぜんぜん。その正反対だ。だが、クウェンティンは、自分とグレッグとの精神的な愛は、性的な魅力よりも強いものだと思っていた。

しかしながら、クウェンティンも単にそれだけとは思っていない。彼自身も変わったのだ。真にボイになろう、態度も服も心もボイになろうと決めた時、彼は、がむしゃらにそうなることを求めた。そうして、彼は、事実上、別の人間に変わったと言ってよい。そして、クウェンティンは、グレッグが最も高く評価していた部分を、見事に、喪失してしまったのである。それを自覚したクウェンティンは深く心を痛めた。

でも、何ができただろう? 環境の変化に対処するということは、愛情とは別のことだ。クウェンティンは、他の多くのボイたちも似たように反応しているのだろうと思った。そして、グレッグもいつの日か今の状態から抜け出るはずだと自分に言い聞かせ続けた。しかし、実際は、日ごとにグレッグはより悪い状態に嵌っていく。

あの事件のことをメディアはグレート・チェンジと呼ぶようになった。そのグレート・チェンジから1年半ちょっと過ぎた頃、とうとう、クウェンティンは、もうたくさんだと思うようになってしまった。もちろん、それまではずっと、彼は、自分の変化、グレッグの幸せと心の安寧にだけ、気持ちを集中させていたのである。自分自身とグレッグの変化について、一度も、悩まなかったことはなかった。

しかし、グレッグは「以前の自分」という殻に閉じこもったきりだった。めったに冗談を言うことはなくなったし、思いやりも愛情も示さなくなっていた。他の人の問題や心配ごとに、ほとんど関心を持たなくなっていた。端的に言って、グレッグは、完全に、人に好かれる人間ではなくなっていた。

そういう流れで、ある日、クウェンティンは腰を降ろし、グレッグに話しかけた。

「ちょっと聞いてくれ、グレッグ。僕は君を愛している。君が思っているよりもずっと、僕は君を愛している。でも、君は、今の状態から抜け出なくちゃいけないと思うんだ。心理療法士とか、そいうところに行くべきだよ。今の状況は変わりそうにない。君が突然、男に戻るということはない。だから、何と言うか……君には助けが必要なんだよ」

「話しはそこまでか?」 とグレッグはクウェンティンの方を向きもせず、吐き捨てるように言った。

「話しはそこまで? ああ、たぶん」とクウェンティンはむっとして答えた。「僕は、どう君に伝えていいか分からないだけなんだ」

「僕に何を求めている? 僕にフリルがついたパンティを履いたりドレスを着たりしてほしいのか? いいよ、着るよ。君は僕に化粧をしたりヘアスタイルに気を使ったりしてほしいのか? 何でもいいよ。僕は従うよ」 グレッグは棘のある言い方をした。

「僕は君に幸せになってほしいんだ!」 とクウェンティンが大きな声を上げた。

「見込みは薄いな」 とグレッグが吐き捨てた。

その後に沈黙が続いた。何秒か、ふたりとも何も言わなかった。クウェンティンはビックリしていた。グレッグは疲れ切ったように、遠くを見ていた。

「ちょっと、さっきのは言いたいことではなかった」 とグレッグは丸1分ほど経ってから、静かな口調で言った。

「いや、本気で言ったんだろ」とクウェンティンが答えた。「僕は……ふたりでこれを切りぬけられると思っていた……そう願っていたよ」

クウェンティンの頬を、一筋、涙が伝った。「でも、僕一人では無理だ。君自身がそれを望んでくれないと」

グレッグは黙ったままだった。

「どうなの?」 クウェンティンが訊いた。

「分からない」 と短い沈黙の後、グレッグが答えた。

その返事に、クウェンティンは打ちのめされた。グレッグが自分に性的魅力を感じていないことは知っていた。だが、愛があれば、自分たちは何らかの打開策を見つけ出すだろうと期待していた。

いや、それでもないとクウェンティンは思った。性的魅力の欠如と言うよりむしろ、性的魅力を使って行いたいことに関するフラストレーションと言った方がよいのではないか。要するに、グレッグは男になりたいのだ。男としての性的魅力を発揮したがっているのだ。ボイとか女性としての魅力ではなく。

確かに、グレート・チェンジの前は、ふたりは理想的な状況にいた。だが、クウェンティンは、もし、グレッグが前と変わらず男性のままだったら、彼はふたりの関係について疑問を抱かなかっただろうと知っている。だが、現状は変わったのだ。そうすると、問題は、前の状態を引きずっているグレッグにある。彼が今の状況で不幸であると思っている限り、彼は、誰に対しても、そして自分自身に対しても、真に愛情を注ぐことができない。

クウェンティンは座っていたカウチから腰を上げた。

「ならば、君は君自身で答えを見つけてくれ。僕は誰か友だちと遊びに行く。明日の朝までに、この状況から本気で抜け出したいのかどうか答えを見つけておくといいね。僕は君を愛している。でも、僕は、その僕の愛情に対して、そのお返しをする気がない人と一緒に自分の人生を無駄遣いする気はないんだ」

そう言ったきり、クウェンティンは家を出た。

*

玄関ドアがバタンと音を立てて閉まった。当惑したままのグレッグを、独りっきりに残して。

自分はクウェンティンとの関係を続けたいのか? 自分はクウェンティンのような人に値する人間ではないのではないか?

グレッグには分からなかった。それでも、クウェンティンはあれだけ長く僕といてくれたし、これからも長く一緒にいたいと思ってくれている。それは何かに値するんじゃないのか? だが、自分はいまだに現の自分の姿にほとんど考慮を払っていない。身体の変化から帰結した個人的な悪気として始まったものが、無力感につながり、それが渦を巻いてコントロールできなくなってしまっている。鬱屈した気持ちが次々に積み重なっていく。

かつて自分がそうであった男はどこに行ってしまったのか? 確かに身体的変化があったからと言って、本来の自分を完全に消滅できるわけではない。違うだろうか? それに、そういう男はクウェンティンは値しないのではないか? 少なくとも、ボイは彼には値しないのでは? グレッグは、クウェンティンならそうは思っていないと分かっているが、その自信がもてない。自分が彼にとって価値がある存在なのか、確信できない。

でも、今のままではダメだ。頑張らなければならないのだ。クウェンティンのためと言うより、自分自身のために。その努力の道はあまり良い結果にはならないだろうと思っている。自分が自己崩壊してしまっているのにも気づいている。ほぼ1年も、自己崩壊状態に浸って来たのだ。こんなふうに人間性を欠いた状態で人生を生き続けたら、結局、どうなってしまうのだろうか? グレッグは、それを考えただけで身体が震えた。

しかしながら、自分が変わる必要があると知ることと、実際に自分を変える意思を持つことは、まったく異なる。そしてグレッグ自身、そういうことを前にも考えた。自分を変える意思を持つということは、どういうことなのだろうか? 確かに、心理療法士も含まれるだろうが、その心理療法士は彼に多くのボイたちがなったような、ナヨナヨしたオンナ男になれと言うだろうか? それ以上に、その心理療法士は彼に「普通」になって、男たちの後を追いかけ、男と結婚しろと言うだろうか? それで何が解決するのだろうか? そうすることで自分は幸せになるのだろうか? グレッグは答えが恐ろしかった。イエスにせよ、ノーにせよ。

だが、それ以上に、グレッグにはひとつ単純な真理が見えていた。グレッグは、世界中の何より、クウェンティンのことを愛しているということである。彼のためなら何でもしよう。それは真実だ。

それに気づいた瞬間、グレッグはすべての疑問が解決していくのを感じた。クウェンティンを失うことは耐えきれない。そうならないためにどんなことでもしよう。それが、女性的なボイになることを意味するとしても、そうしよう。クウェンティンが何を求めても、彼の人生がどんなふうに変わっても、愛のために、クウェンティンのためにどんなことでもしようと思った。すべての疑念の暗闇の果てに、彼はそんな光を見つけたのだった。

それに気づき、グレッグは活気を取り戻した。そうしてほぼ1年ぶりに、彼は、未来について興奮を覚えたのだった。

*

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[2015/09/15] 本家掲載済み作品 | トラックバック(-) | CM(0)

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